都市の大聖堂―ゴシック建築と都市の発展について  その6 聖職者と民衆~大聖堂を巡る旅

雑記・建築旅

 この章では、大聖堂を精神的に支えた聖職者の立ち位置と、その責務、また、民衆が信仰に込める思いと大聖堂とのかかわりを示す巡礼についての紹介をしたいと思います。

【聖職者と民衆】 
 大聖堂は非常に大きく、建てるのに大変長い時間がかかったので、多くの司教たちはその職についている期間のすべて―おそらく20年かそれ以上―を巨大な建設現場の中にいて、おつとめをしたり、そこから司教管区の指揮をとったりしなければなりませんでした。いったい中世の司教たちは、監督下にある人々に―あるいは建物に―どのような責任を負っていたのでしょうか。
 ある中世の著述家は司教の責務を次のように述べています。「…まず、祈ること。次に書物の勉強、つまり読みあるいは書くこと、教えあるいは学ぶこと。つぎにその聖堂での時禱(日課として定められた祈り)を時間どおりに行うこと。…慈善を行うこと。仕事の監督をすること…そして、おおやけの会合では、常に民衆にキリスト教の信仰に関する知識を伝えなければならない…」。
 中世を通じて司教の精神的責務はこれと同じで変化することなく、また、今日でもほとんど同じままです。多くの司教たちは政治の面でも活発な活動をしており、政府の大臣の役割をつとめたり、国王や君侯の助言者となったりしました。(中略)
(出典・引用:三省堂図解ライブラリー 『中世の大聖堂』)

司教は豪華な長衣を着ておつとめや説教を行いました。これは本来は神への尊敬からなされたことでしたが、しかし司教のなかのあるものは、自分自身の栄光や大聖堂の力を誇示するためにも用いました。

聖職者と民衆

巡礼者たち】
 男も女も、中世のヨーロッパのあらゆる場所から、人々は長い距離を旅して巡礼にでかけ、聖人やその他の聖なる人々が葬られた墓を訪れました。巡礼者のなかにはもっと遠くまで足をのばしてはるか「聖地」(エルサレムとその周辺の土地)まで行くものもありましたが、そこはイエスが生涯をおくった土地でした。
下写真は、旅の出発点として、イギリスのカンタベリー大聖堂をご紹介しました。

カンタベリ―大聖堂外観(写真:ウィキペディア より) 
(イギリス 1130年ごろ)

ウィキペディア:カンタベリー大聖堂
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82

カンタベリ―大聖堂平面図とエドワード黒太子の墓

【カンタベリー大聖堂 map】


民衆はこうした信仰のための旅に費やした日時が罪の赦しを与えてくれるものと信じ、またたぶん天国で居場所を与えてくれるだろうと信じたのです。巡礼の旅は時には危険なことの方が多かったのですが、また、楽しい仲間と愉快な休日を過ごすよい機会でもありました。特別な巡礼の道筋ができあがり、店や宿屋などがその道沿いに集まってきました。
山賊やおいはぎなどは、巡礼者たちを荒れ果てた寂しい場所で待ち伏せして、大金を奪い取りました。

12世紀のフランスのある著述家が巡礼者の一団が出発するときの光景をつぎのように描写しています。
「晴れ上がっておだやかな日和だ。若い娘や若い男たちはみな詩や歌をくちずさんでいるし年寄りたちまでが歌いだした。だれもみな楽しそうである…。小鳥たちですら楽しそうに歌っている…。丘のほとりでは…料理人がテントを張った…。さまざまなワインがあり、パンやパイ、果物、魚、鳥肉、お菓子屋や鹿の肉、…お金さえあればなんでも買える。」

巡礼者たちは旅のあいだの服装にかなり気を使いました。彼らは、衣服や食物、お金、お祈りの本などを、革の肩掛けかばんで、ずた袋と呼ばれるものに入れていました。徒歩の巡礼者は山道を歩くときに頼りになる長い杖をたずさえていました。
彼らはときには小さなバッジをつけ、これは金属や布でできており、聖人の墓などがある近くのまちで売っているものでしたが、これを上着に縫い付けて自分が本当に巡礼に行ってきたことの証明としました(上の絵の巡礼者がずだ袋につけている帆立貝はサンティアゴのバッジです)。

【巡礼の聖地 サンティアゴ(聖ヤコブ)・デ・コムポステラ大聖堂

伝説によると9世紀、エルサレムで処刑されたイエス・キリストの12使徒のひとり聖ヤコブ(スペイン名・サンティアゴ)の墓がスペイン北部で発見され、これを記念して聖堂が建てられました。時はレコンキスタ(国土回復運動)の最中、その地サンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教徒の精神的支柱となり、ヨーロッパ各地から多くの巡礼者が訪れ、教会が建ち、巡礼路ができ町が形成されていきました。
(引用:阪急交通社 心に届く旅)
https://www.hankyu-travel.com/heritage/spain/santiago_way.php

巡礼者はホタテ貝の目印を頼りに歩き続けます。

サンティアゴ・デ・コムポステラ大聖堂外観(写真:ウィキペディア より) 
(スペイン 1211年ごろ)

カトリック教会の総本山である ローマ や、イエスが布教し、十字架にかけられた場所でもある、パレスチナの イェルサレム 。 これらと並んで、キリスト教の遺跡が立ち並ぶ、イベリア半島の サンティアゴ=デ=コムポステラ はヨーロッパ三大巡礼地の1つとされていおり、今も多くの観光客が訪れています。

【サンティアゴ・デ・コムポステラ大聖堂 map】

聖職者と民衆とのかかわり、巡礼者たちの聖地を巡る旅は、現在の日本でも共通するところがあるとおもいます。信仰の一つとしてのこれら人々の行動一つ一つが、都市とそれをつなぐまちの発展にも貢献していることが分かります。こういった海外でのダイナミックな旅をすることは叶いませんが、私も身近な歩き建築を通じて、今後いろいろな旅をしていきたいと思います。

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