都市の大聖堂―ゴシック建築と都市の発展について その3 基礎工事

雑記・建築旅

【基礎工事】
(出典・引用:三省堂図解ライブラリー 『中世の大聖堂』)
 中世の大聖堂に使われる建築材料で二番目に重要なのが木でした。オークが最上の木材でした―見た目に美しく、堅く丈夫で、何世紀も持ちこたえます。上質の石と同じく値段も高く、それよりもまだ高くつくのが輸送でした。できる限りは水上運送に頼りましたが、これが中世にはいちばん容易にまた安価に重い荷物を動かせる手段だったためです。それができないときは、木材は馬や牛に引かせた車に積まれ、でこぼこ道をいちばん近い港まで運ばれました。
 もっと軽くあまり長持ちしない木で、松やとねりこなどは、足場を組んだり、はしごにしたり、その他大聖堂を建てるのに使う荷揚げ機などをつくるのに用いられました。また、言うまでもなく、石や木を運ぶための車も船も、木でできていたのです。
 木材や石材が選び出され輸送されている間に、大聖堂の建設現場にいる労働者たちは、基礎を据えるための工事(杭を打ったり、地面を掘ったりする)に忙しく働いていました。一つの大聖堂をつくり上げるのには何百年もかかりましたが、全体の出来上がったときの形は、多くの場合、工事が始まったとき、すでに計画ができていたのです。

ダラム大聖堂(1093年 イングランド)
(写真引用:世界遺産オンラインガイド https://worldheritagesite.xyz/durham/

ダラム大聖堂の平面図~典型的な中世の大聖堂の平面
壁や窓、屋根を支える柱の位置などを示している「ガリレー」と呼ばれる大きな玄関が西端にあり、半円形のスペースで「アプス」(後陣)と呼ばれるものが東端にあります。
身廊は一般の民衆がおつとめを聞くために立ったりひざまづいたりする場所で、その間、大聖堂の聖職者たちはクワイア(内陣)と呼ばれる場所に立ちました。特別のチャペルが翼廊にあり、また身廊とクワイアが接するところの上に中央の塔が建てられました。
大聖堂のとほうもない重量を支えるには、建物の下深く掘り、何本も杭を打ち込んで、その上に基礎の石を何段も積み重ねておかなければなりませんでした。

また、何千本もの樹木が一つの大聖堂を建てるのに必要でした。オークは最上で一番丈夫な木材でしたが、しかし12世紀にはすでに不足しはじめ、しかも高価となっていて、フランスの人々は大きなオークの森林が建築用材として切り倒されいくことに不満を述べていました。

【基礎の輪郭をきめる】
新しい大聖堂の基礎の輪郭をきめるため、ロープを張り木の杭を打っている様子です。これは、後で人夫たちが基礎のための溝を掘るときの目安になりました。
中世の測量師たちは現代のような便利な装置を持ってませんでした。直線を引いたり直角を出したりするのには直角三角形の定規を使って測りました。

石灰岩はいちばんよく使われた中世の建築用石材でしたが、これは細工がしやすいためでした。こうした細かい細工ができる石を「フリー・ストーン」と呼び、そうした石に細工できる石工は「フリー・ストーン」と呼び、そうした石に細工できる石工は「フリー・ストーン・メーソン」といって、他の石工たちよりも尊敬されていました。

地下のチャペルでクリプトと呼ばれる部屋(上のイラスト)がしばしば新しい大聖堂の下に設けられ、聖人の遺体の安置所として用いられました。こうしたクリプトの多くは、中世につくられた大聖堂にいまでも見ることができます。

大聖堂は日常の礼拝の場であるとともに、聖人の墓の意味合いも持つ場所であったようです。
日本の寺とも通じたところもありますが、「クリプト」のように建築物内部に作られた墓という点は、日本の墓地などとは異なる点で、興味深いところです。

次回は、これら大聖堂を建築してきた職人たちの紹介と、建築職人の生活、都市とのかかわりをご紹介していきたいと思います。

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