北フランスに生まれ、当時はフランス様式と呼ばれたゴシック建築でしたが、13世紀末以降はヨーロッパ中に広まっていきます。フランスの国力が衰えた14,15世紀にはイギリス、ドイツがゴシック建築をリードします。北フランス以外の各地方のゴシックは、一旦フランスの盛期ゴシック建築の模倣作品を建てた後、各地の伝統を取り入れた独自のゴシックを形成していき、ゴシックはインターナショナルな様式となります。地方の独自性を備えたバリエーションに富んだ国際様式でした。
出典:学芸出版社 『図説 建築の歴史―西洋・日本・近代』
ソールズベリ大聖堂外観(写真:JTB より)
(イギリス 1220~1266年)
ソールズベリ大聖堂に囲まれた中庭 (写真:JTB より)
ソールズベリ大聖堂内部 (写真:JTB より)
【ソールズベリ大聖堂 map】
【鐘楼と尖塔】
大聖堂は人目につきやすいようにつくられました。
まず、何よりも神をあがめその栄光をたたえるためでしたが、同時にそれらは設計した人々やそれが建つまちに、名声と富を得る手段をもたらすものでもありました。巨大な大聖堂をもっと目立つようにする最上の方法は、塔や尖塔を建ててその高さを増してやることでした。こうした高い「指」はまた天を指さすことによって、すべての人々にたえず神をおもい起こさせるためにも役立ちました。
塔にはまた実用的目的もあり、時計や吊り鐘をおさめることができた。鐘の響きは信者たちを聖堂や大聖堂でのおつとめに呼び出すものであった。中世初期にはまだ現在のような時計は発明されておらず、時間をはかるには特殊なしるしをつけたろうそく(一定時間に決まった長さだけ燃える)や、こちらの方がもっと一般的でしたが、砂時計や壁の外側にとりつけた日時計を用いました。しかし13世紀になると、中世の学者や技師たちは機械仕掛けの時間を知らせる装置を設計し始めます。ヨーロッパで現存する最古の時計は、こんにち一般に認められているところでは、イングランドのソールズベリ大聖堂にあるものだとされています。鐘や時計は神からの罪の赦し(ゆるし)をかち得るようにと、あるいは人々から愛されていたり有名であったりした死者の追憶のために、大聖堂に寄進されました。
(出典・引用:三省堂図解ライブラリー 『中世の大聖堂』)
司教やまちの人々は競っていちばん美しい大聖堂をつくろうとしました。中世の大聖堂の塔で最も高いのは、フランスのストラスブール大聖堂のものです。(中略)
ストラスブール大聖堂(写真:ウィキペディア より)
(フランス 1176~1439年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82
【ストラスブール大聖堂 map】
尖塔は通常は木でつくり、それに鉛の薄板をかぶせますが、そのため非常に重くなりました。これは構造としては弱く、強風などで壊れやすいものでした。また金属で覆われていたために、しばしが落雷に遭いました。多くの大聖堂では高い尖塔や鐘楼が崩れ落ちて、屋根を壊して身廊にまで被害を与えました。
鐘は鋳型で作られました。(上の絵)まず、鐘の内側のかたちの実物大の原型を粘土でつくります。それをろうで覆って、必要な装飾などをつくった上に、さらにその上に粘土をかぶせますが、外につながる出口をいくつか設けておきます。このかたまり全体を熱すると溶けたろうが外にちょろちょろと底から流れ出します。そこで鐘をつくる金属を溶かして鋳型に流し込み、ろうと置き換えます。金属が固まるまで放置し、それから粘土の鋳型を壊しました。
【雨樋、ガーゴイル、屋根】
大聖堂の壁の各部分が出来上がったあとは、屋根をかけて雨風に耐えるようにしてやらなければなりません。早い時期の大聖堂の屋根は木造でしたが、しかしこれは条件が整いさえすればいつでも石に取り替えられ、火災の危険が減るようにしました。しかし石の屋根は高くつきますし、とても重く、工事にも時間がかかりました。しかも大聖堂の壁がその重さのために外側にはみ出し、しばしば石のバットレスの列で支えてやらなければならなくなりました。こうした工事は材料や職人仕事に余分な費用がかかりました。
雨樋は背の高い大聖堂の屋根から雨水を下へ落とすために欠かすことのできないものでした。しばしばこれはバットレスや尖塔のなかに隠して収められました。
ガーゴイル(怪獣形の吐水樋、上の右側の絵)は、水を外に出すために用いられるもので、雨水の流れを壁から遠ざけるためのものでした。石工たちは、普通はそれらを怪物や悪魔の形に彫り上げていました。しかし時には司教や職人たちをからかうためにその似顔にしたりもしています。
写真:パリノートルダム大聖堂ガーゴイル(LIFULL HOME’S PRESS)
高さを求める工夫から、雨水の処理に至るまで、大聖堂建築の職人たちの知恵がさまざまところに見られます。
大聖堂建築は、職人の技術と富の象徴であるとともに、都市の発展と栄華の、そして天を思い描く人々の祈りの場としての象徴的な存在であることを感じました。
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