平安後期に成立した北野天満宮の社殿形式は、近世に入り、秀吉や家康などを祀る霊廟建築として発展しました。神や仏を祀るいままでの建物に対して、人をあるいは人を神と崇めて祀る建築を造ることに力を注ぐようになったのです。また彫刻や彩色など装飾の限りを尽くして美しさを表現しようとしました。この章では、霊廟建築の一部を紹介し、近世の神社の特徴を紹介します。
引用元:学芸出版社『図説 建築の歴史』/美術出版社『カラー版 日本建築様式史』)
(写真引用:ウィキペディア他)



〇日光東照宮陽明門 外観と、代表的木造彫刻の三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)・眠り猫
(栃木県日光市 1636年 )
(写真引用:ウィキペディアより)
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、栃木県日光市にある神社。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を主祭神として祀る、日本全国の東照宮の総本社的存在です。
日光東照宮の各社殿は、自然の高低を利用して巧みに配置されています。参道は途中で意図的に屈曲されていますが、この陽明門から唐門を経て権現造の社殿へと一直線に通され、奥へいくほど高まりを増します。
陽明門は装飾あふれる日光東照宮建築群の中の代表となる建物です。構造部材まであ装飾で隠れるほどですが、楼門として全体的な比例は失っていません。
(HP:https://www.toshogu.jp/shaden/index.html)
【霊廟建築と権現造】
霊廟とは、一般的に祖先の霊・実在した人物の霊をまつるところです(神社とは必ずしも明確に区分できるものではありません)。近世以前では、奈良の談山(たんざん)神社(藤原鎌足)や京都の北野天満宮(菅原道真)などがそれに相当します。特に北野天満宮は、本殿と拝殿を石之間で繋ぐ平面を一つの屋根で覆う複雑な形式を持ちます(権現造・八棟造)。この形式は平安後期に成立したと考えられますが、近世に盛んに建立された霊廟建築の定型となりました。
ただし、この形式を採用した神社・霊廟建築が非常に装飾的であるのに対し、範となった北野天満宮は比較的簡素な意匠です。(下記)


〇北野天満宮 外観と平面図(京都市 1607年 )
(写真引用:ウィキペディアより)
桁行3間梁間2間の母屋の四周に庇をめぐらした本殿と桁行7間梁間3間の拝殿を石之間でつなぐ形式が平面からわかり、平安後期には成立していたと考えられます。。拝殿左右の楽の間は1607年に加えられたものです。屋根は本殿・拝殿ともに入母屋造で石之間の棟はそれらの棟と直行します。
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