【背景】
アメリカを中心とした資本主義の発展は、ヨーロッパ各国のみならず、アジア・アフリカ・中南米諸国の独立と近代化に大きく貢献しました。各国、各地域に固有な伝統が再発見されはじめます。
この動きに連動しながら、近代を超えるためのさまざまな試みがおこなわれました。
近代建築が否定した伝統的な象徴性を復活させ、古典的な衣装や装飾纏った建築を生み出す動き、近代建築の後に来るものとして、「ポストモダン」と呼ばれました。(1960年代ごろ~)
(学芸出版社『図説 建築の歴史』/美術出版社『カラー版 西洋建築様式史』より)
【北欧の賢人 アルヴァー・アールト(1898-1976年)】
近代を超える試みは、さまざま形をとりました。との一つに、地域主義的な建築アプローチがあります。アルヴァー・アールトは、近代建築の合理性とともに、北欧の風土や地縁と深く結びつく建築を追求しました。
同時代の建築家には、文化の多様性や固有性に着目し、画一化された近代建築への批判を表明する動きもありました。それは「ヴァナキュラー」と総称されるものでした。
【アルヴァー・アールト設計の代表的建築 例】
〇マイレア邸(フィンランド 1939年)
アルヴァー・アールととアイノ・アールトが、同じくアルテックの創業者のひとりであるマイレ・グリクセンと、その夫ハッリのために手掛けた「マイレア邸」は、20世紀建築の中でも類を見ない傑作住宅として知られています。(Artek Japanより)
〇セイナッツァロ村役場(セイナッツァロ、フィンランド 1952年)
この建物によって、第二次世界大戦後のアールトの本格的な活動が再開されました。
ほぼ方形の中庭を囲んで、町役場、図書館、商店が配置されています。
大階段で外に通じる中庭は、市民に開放され、社会、経済、文化の中心となります。
この地方で最もよく利用される煉瓦や木が材料として用いられました。
林に覆われた丘の斜面を生かし、自然に溶け込むような形態となっています。
(写真:ハッシュカーサHPより)
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